30歳という若さで他界した夭折の画家・佐伯祐三氏(*’ω’*)
その佐伯祐三氏の特別展が4月2日まで東京ステーションギャラリーで開催されました。
独自の作風で洋画を描き、彼の作品は多くの人を惹きつけます。
駆け抜けるような人生を送った佐伯祐三氏の生涯を作品と共に紹介したいと思います。
(※作品自体のは撮影NGだったのでポスターで紹介させていただきます)
佐伯祐三氏は1918年に東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。
西洋画科で絵を学び1923年に同校を卒業、翌1924年にパリへ渡航。
パリでフォーヴィスムの巨匠・ヴラマンクに持参した自作『裸婦』を見せたところ
「アカデミックめ!」と一喝され強いショックを受けたエピソードは有名です(。-_-。)
その後、彼の作風は変化し劇的な印象を与える『立てる自画像』を発表します。
この自画像はヴラマンクに一括された直後に描かれたものと思われる作品です。
顔の表情がかき消されており、その立ち姿からは挫折感や無気力さ、苛立ち、
様々な気持ちが混沌として共存しているのを感じ取れます。
1925年、彼はパリ下町の店先を題材に独自の作風に到達しました。
『コルドヌリ(靴屋)』等この時期の作品に見ることが出来る重厚な石壁の質感を
厚塗りの絵具で表現し、圧倒的な存在感を放つ壁面を多く描いています。
2年ほどパリに滞在した後、彼は一旦日本へ戻ります。
国内でのグループ展や二科展などでは彼の作品について多くの議論がなされ
肯定的な評価と批判が相半ばする状態だったそうですが、帰国してからの彼は
パリとは異なる風景に向き合う事で新たな視点を持ち更に表現力を広げました。
1927年、彼が29歳の時に再度渡欧。
1928年3月頃より持病の結核が悪化し精神面でも不安定に・・・(´·ω·`)
彼自身が余命幾ばくも無いことを自覚していたからなのか毎月30点以上の
作品を描くようになり、悲痛なまでの気迫が感じられる作品を生み出します。
(↑)作品名は『 郵便配達夫 』
血色の良い顔の配達夫がカッ!と目を見開きこちらを見据えています。
全体に向かって左へと傾いだ構図が緊迫感を生み出し、佐伯祐三氏特有の
世界へと引き込まれる作品という印象を受けました。
顔も体も背景のポスターも左上から右下に向けた斜めの流れを構成しており
この方向に傾く線は佐伯氏の絵によく見られる特徴で、一気呵成に描いた
筆の勢いを感じる事が出来ます(*ΦωΦ)
この後、彼は自殺未遂を経て精神病院に入院。
一切の食事を拒み同年8月16日に衰弱死しました。。。
彼の生み出した作品が私たちを惹きつけて止まないのは作品の完成度の高さだけでなく
何度も自己超克を繰り返しながら自身と向き合い続けた人間性に共感を感じる人が
多いからではないでしょうか。
東京での特別展は終了しましたが、次は大阪へ巡回するそうです(*^ω^*)
天才画家・佐伯祐三氏の作品を皆様是非とも鑑賞なさることをお勧め致します!
(20230403YK)